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ヨーガスートラやウパニシャッドのヨーガを
佐保田鶴治博士は顕教ヨーガと名付けました。
世の中にはたくさんの流派がありますが
一番難しいヨーガは、間違いなく
ジニャーナ・ヨーガ(ウパニシャッドのヨーガ)だと思います。
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師の傍らに坐り、同一化する。
言葉にすると簡単そうですが、現実にはかなり難しいものです。
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粘華微笑という話があります。
釈迦の傍らにいたたくさんの弟子たちの中で
同一化できたのは、摩訶迦葉ただ一人でした。
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佐保田先生の著書によると
ラーマナ・マハーリシの傍らでも、数人だけしか
同一化できなかったようです。
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「あるがままに」
まさにこれが極意なのですが
かの天才クリシュナムルティも
「天真爛漫であること」「なにもせずに自然であること」を
数十冊分の言葉を使って説明しなければなりませんでした。
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なぜ「なにもしないこと」が求められるのかといえば
それは顕教ヨーガが引き算のヨーガだからです。
ヨーガスートラを見てもわかりますが
有想三昧から無想三昧へ、有種子三昧から無種子三昧へ
ひとつひとつ引き算をすることでサマディへ向かってゆきます。
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ハタ・ヨーガやクンダリーニ・ヨーガなどの密教ヨーガは
原理的に、身口意の三密を、同時性と融合性をもって足し算し
積み上げてゆくことで、力を生み出しますが
顕教ヨーガはその正反対のスタンスなのです。
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足し算型はえてしてエゴを強くします。
対して、引き算型は心の作用の止滅を求めます。
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真のサマディへの道は、足し算型では不可能なのです。
引き算型への意識転換がなければ、サマディに到ることはできません。
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原始仏典のスッタニパータで釈迦は告白しています。
「わたしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう」と。
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ジニャーナ・ヨーガが難しいのは
上辺の技術によらず、ただ「傍らに坐り無為に在る」ことを要求している所です。
そうでなければ、仮に釈迦のそばにいたとしても、何も起きないでしょう。
すべては、自分次第なのです。
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